ピンク・フラミンゴ

この映画には、ニワトリを間に挟まないとセックスできない変態カップルが出てくる。20年くらい前に見たきりだが、そのシーンだけは、ことあるごとに思い出す。まさにそれは我々の姿だ、というと怒られるだろうから、まさにそのカップルの片方は僕の姿だ、というにとどめておくが、とにかくそう感じられる瞬間がよくある。

ブログを書いている今の僕がそうだ。日記などつけた事がない僕が、ブログをせっせと書いている。ブログというものがなければ、僕は文章など書かないし書けない。今のところこのブログを読んでいる人はいないだろうが、僕は読み手を想定して書いている。仮に読み手が先にいたら、僕はこのブログを始めなかった。

つまり僕は、(この)ブログという「ニワトリ」を間に挟まないと、「読者」(この場合いるかいないかは問題ではない)と「コミュニケーション」できない。かえって分かりにくい例になってしまったけど、まあそういうことだ。我々、といういいかたを許してもらえるなら、我々が携帯やメールを手放さないのは、「コミュニケーション」が「ニワトリ」を必要とし、「ニワトリ」が「コミュニケーション」を産むからだ。多分。

僕は現代社会が病んでいるということをいいたいわけではない。そもそも「コミュニケーション」というのは、昔からそういうもなのだろう。ただ、今は昔より複雑な「ニワトリ」を必要とするだけだ。そういう難しい事を考えてしまうとき、僕はいつも「ピンクフラミンゴ」の変態夫婦を思い出す。

(2006年3月2日)