沈まぬ太陽

DVDで鑑賞。原作は未読。(少しネタバレあり)

沈まぬ太陽」の主人公・恩地は、会社からどれほどひどい仕打ちを受けても会社を愛し続ける。その「心理」が理解できるかできないかで、この映画の評価は大きく違ってくると思う。

ただし、厄介なことに、彼の「心理」を純粋に映画だけから読み取るのは非常に困難だ。彼の「心理」を理解するには、ある世代だけが持つ「体験」、もしくはその世代に関する「知識」が必要である。日本の復興期に自分自身も大学を出て就職するという「体験」。もしくは、そういう世代の理想と情熱が戦後日本の高度成長を支えたという「知識」。それがなければ、映画「沈まぬ太陽」を見ている間ずっと、「恩地はどうして会社を辞めないのか」という疑問が頭から離れないということになってしまう。

規模もジャンルも違うが、一昨年台湾で大ヒットしたという台湾映画「海角七号」にも、似たような性質がある。「海角七号」は主人公・阿嘉と日本人・友子の恋愛をストーリーの軸とした映画だが、彼らの恋愛に感情移入するには、日本統治時代から戦後にかけての台湾と日本の関係を想起しなければならない。日本人教師と台湾人少女の悲恋という、終戦直後を舞台としたサブストーリーが挿入されるものの、この映画で描かれていることだけをテキストとして「台湾の日本に対する複雑な心理」を十全に理解するのは難しい。

いささか乱暴な分類だが、「沈まぬ太陽」も「海角七号」も、母国の近現代史を個人の物語に読み替え、叙情的な味付けを加えた映画だ。映画それ自体だけでは理解し難い要素を持つという点も似ていると思う。「沈まぬ太陽」は28億をかけた大作だが、興行的にはふるわなかった。「海角七号」も日本ではあまり評判にならなかった。その結果は、映画の出来云々より、その映画が扱う「歴史」に対する日本人観客の関心の薄さを物語っているのだと思う。