プレイヤー、観客、プロデューサー

ウチの隣りがちょっとした空き地になっていた。今思えば家一軒も建たないくらいの狭い場所だったが、近所の子供が集まって遊ぶには十分だった。
そこでよく「三角ベース」をやった。もっとも当時はそういう呼び方はせず、あくまで「野球」と呼んでいたのだが、固いボールや本物のバットを使うには狭すぎたので、ボールは軟式テニスのゴムボールなどを使い、バットはどこかで拾った50センチくらいの角材を使った。私の弟も含め、四五人でやることが多かったと思う。打球が裏手の田んぼや畑まで飛ぶとホームランだった。
私は、その空き地で近所の子が遊ぶのを窓から眺めるのも好きだった。仲間に入れてもらえないワケでも仲間に入りたくないワケでもなく、ただ見ているのが好きだった。そんな私を見て、近所のおばさんたちは「皇太子」というあだ名をつけたという。後年母から聞いたのだが、おばさんたちのユーモアセンスはあなどれない。
当時の遊びで一番記憶に残っているのが「自転車教習所」だ。空き地を自転車で一周するコースを作り、途中蛇行させたり障害物を置いたりした。私が考案し準備をしたのだが、そのとき私はまだ自転車に乗れなかった。私はウチの窓から、同い年の子供たちが自転車でコースを回るのを眺めた。そのときの快感が、空き地にまつわる記憶の中でもっとも忘れられないものだ。
「三角ベース」の私が「プレイヤー」、「皇太子」の私が「観客」だとしたら、「自転車教習所」の私はなんだろう。野球でいえば「監督」だろうが、映画でいえば「プロデューサー」に近いかもしれない。自主製作映画の場合はプロデューサー不在というか、監督が(あまりその意識なく)プロデューサーを兼ねている場合がほとんどだから、後年私が自主製作映画に興味を持ったのも、むべなるかな、である。