外交について

半藤一利の「昭和史」をちびちび読みながら、テレビやネットで昨今のニュースを見ていると、昔も今も外交というのは回りくどいというかメンドクサイというか、複雑なコミュニケーションだなあと思う。最近よく目にする「戦略的互恵関係」ってのもムズカシイ。まあ、だから本を読んだりニュースを見たりするのがオモシロイんだけれども、でもそれは、人ごとだと思っているから楽しめるのだ。
いきなり個人レベルの話になるが、人ごとにできない普段の生活では、私はなるべく「外交」はしないようにしている。相手に対するメッセージは、できるだけストレートに伝えるように心がけている。たとえば、講師業で学生さんに説教をたれるときは、少々演技を加えてでもエラそうに振る舞う。「言いたくはないのだが」とか「あなたのためだから」などという、相反したメッセージは付け加えない。される方の立場からすれば、そういう回りくどい説教こそ「高圧的」なのだ。
しかし、自分では「外交」をしないよう心がけていても、相手から「外交」を仕掛けられることがある。それが問題だ。「外交」には「外交」で応じるべきなのかもしれないが、「ああこれは外交だ」と思った途端に気分が落ち込んでしまう私には、それはかなり難しい。修行が足りない、ということだろう。