無常の月

月食を見逃した。名古屋では見られたのだろうか。
そういえば、生まれて初めて脚本というかシナリオらしきものを書いたのは、高校のとき、ラリイ・ニーヴンのSF短編小説『無常の月』に感動して、思わずノートに「脚色」したときだった。もとの小説が、ほとんど男女二人しか出て来ない、舞台劇のような、シンプルな短編映画のようなものだったから、「脚色」といっても、地の文を省略しまくって、残りをそのままノートに書き写しただけだったけれども。
あれからちゃんと読み返していないが、異様に明るい月を見て世界の破滅を推理した科学者のカップルが、何とか生き残るために一晩街を彷徨う、といった話だった。自分もこんな物語が書いてみたいという衝動が、思わず写経のような「脚色」に走らせたのだろう。
今、改めて『無常の月』を読んで、当時と同じような感動をおぼえるかどうかはわからないが、高校生の私が感じたロマンチシズム、孤独、絶望、希望をもう一度自分の手で再現したいというのが、映画を作ったり脚本を書いたりするときの動機になっていることは確かだ。