死者の中から

ヒッチコック「めまい」の原作である「死者の中から」(ボアローナルスジャック日影丈吉訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んだ。今更ですが。
以下、少しネタバレあり。
ミステリというよりオカルト。最後の最後にある、ほんの数ページの「種明かし」で、かろうじてミステリの体裁を保っている感じ。しかしとにかく、「死んだ女」に憑かれて狂っていく主人公の描写が素晴らしい。ここには書かないが、最後の一行、女を殺した主人公の捨て台詞(?)にシビレた。

映画「めまい」には、本質的な改変がある。早々と「種明かし」をしてしまう点だ。小説「死者の中から」は二部構成になっているが、その第二部の冒頭に当たる部分で、「めまい」は謎のからくりを観客にだけバラしてしまう。しかも、かなり強引な方法で。小説では、再会した主人公に詰問された女が最後に真相を告白するのだが、映画では、女が主人公に宛てた告白の手紙を書き、すぐに翻意してその手紙を破棄してしまう。

初めて「めまい」を見たときは、この「種明かし」に面食らった。しかし、何度か見るうち、ヒッチコックも最後まで迷ったらしいこの改変が、やはり正しいのだと感じるようになった。今回はじめて原作小説を読んで、さらにその感じを強く持った。

「めまい」では、途中で「種明かし」が行われることで、それまで「死んだ女」だった女が、なんでもないひとりの女として、われわれ観客の前に立ち現われる。それと同時に、「死んだ女」を愛する哀れな主人公は、妄想に取り憑かれたモンスターに成り代わる。「めまい」の後半、われわれは愛の妄想に憑かれた男に苦しめられる平凡な女を見ることになる。男の視線のみに同一化していた前半から、かなりのシフトチェンジを要求されるわけだが、それさえうまくいけば、シフトチェンジ後のほうがむしろヒッチコックらしい展開であることに気づかされる。

「めまい」のラストは圧巻だ。女は「勘違い」で死ぬのである。女は、ただ様子を見に来ただけの尼さんに驚いて足を踏み外し、鐘楼から落下する。あからさまな逆光で撮影された尼さんが、女に「死んだ女」の幻影を見せたことは明らかだ。女は、自らが作り出した「死んだ女」に追いつめられ、自らが演じたのと同じ方法で死ぬ。

先に書いたように、「死者の中から」では女は男に殺されるわけだが、それも(とくにオカルト的に読めば)、女自らが作り出した「死んだ女」が男にそうさせたともいえる。そう考えると、私をシビレさせた最後の台詞は、男の言葉でありながら「死んだ女」の言葉でもある。つまりそれは、「めまい」の鐘楼に突然現われた尼さんと同じなのである。

「死者の中から」は、小説らしい小説だ。まず、主人公の内面描写が多い。小説の内面描写というのは直接映画に置き換えることはできない。また、女の描き方が主人公の男に比べてかなり記号的だ。女は「謎」そのものとして、あるいはファム・ファタル的な存在としてしか描かれていない。これも、役者がキャラクターを演じる映画に馴染みにくい特徴だ。そう言う観点からいっても、途中で主人公を男から女にシフトチェンジした「めまい」の選択は正しいと思える。

何となく書いていたらほとんど「めまい」の話になってしまったが、小説「死者の中から」が持つシフトチェンジなしの統一感、ディープな神秘主義的雰囲気、底なし沼に嵌ったようなオブセッションなどは、「めまい」に勝るものだと感じた。こんな物語を書いてみたいと思った。