伯父の話




母の兄のひとりは、満蒙開拓青少年義勇軍に14歳で志願し、昭和20年9月にハルピンで病死したそうだ。


その伯父については、それ以上詳しいことはわからない。
母が物心つく前の出来事だし、祖父も戦死、祖母はその後を追うようにして病死しているからだ。


昨年、母とその伯父の話をした後、ふと思い立ってgoogleで検索してみた。


「満蒙開拓青少年義勇軍」「岐阜」「昭和20年9月」「ハルピン」
そういったキーワードで検索すると、各地の記念碑を探訪して碑文を採録している方のホームページに行き当たった。
岐阜公園にある「第7次岐阜県田中中隊」記念碑に刻まれた物語が、伯父の話と一致していた。


岐阜公園には行ったことがないし、近くの金華山にも一度登ってみたかったので、しばらくしてから観光気分でその記念碑を見に行った。
記念碑は、広大な岐阜公園の奥まったところ、日中友好庭園の近くにあった。
裏に回ると、碑文に続いて死没者の氏名が刻まれている。
これは例のホームページには採録されていなかった。
その中に、予想通り伯父の名前があった。


14歳で単身異国に赴いた伯父や、それを許した祖父母の心中は知る由もない。
若い頃は、そういうことを想像する気にもなれなかった。
でも今は、なんとなくわかるような気もする。