ウソつきとええカッコしい

ネットでは、ニセ作曲家を嘲笑しゴーストライターに同情する論調が目立つように感じる。
ニセ作曲家は何を言われても仕方がないと思うが、ゴーストライターに同情するのはどうかと思う。
これは善悪の判断で言っているのではない。


ニセ作曲家が、承認欲求に飢えた「ウソつき」なら、ゴーストライターも、承認欲求に飢えた「ええカッコしい」だ。
「ウソつき」は世間を欺くが、「ええカッコしい」は自分にもウソをつく。
「いい人」に見えるのは、他人だけでなく自分も欺いているからだ。


文春の記事で、ニセ作曲家がゴーストライターに送ったというメールの文面を見て、その印象を強めた。
あの追いすがるような文体(たとえそれが「ウソつき」の演技だとしても)から透かし見えるのは、メールの受け手であるゴーストライターの気位の高さだ。


それは「芸術家としてのプライド」なんて高尚なものではない。
自分の思う「ええカッコ」を侵食されたくない、あわよくば他人に認めさせたい、そういう暗い自意識だ。


18年ゴーストライターを続けたのも「ええカッコしい」だからだし、今になってそれをバラすのも「ええカッコしい」だからとしか思えない。
「ええカッコしい」が「ウソつき」よりマシだとは、オレには思えない。


理屈では説明できないが、オレの中の「ええカッコしい」がそう言っている。