こちら、何者にもなれなかった男になります

「何者にもなれなかった「40男」たちの絶望 | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準」

 

という記事がはてなブックマークで話題だが、完全にタイトルに釣られている。読んでないし読む気もないので記事のリンクは貼らないが、なぜこのタイトルに釣られるかについては考えがあるので開陳したい。結論から言うと「なる」というコトバに原因がある。

 

この「なる」がわれわれを煽っているわけだが、これは「こちら、コーヒーになります」というバイト敬語(この言葉はググって知った)の「なる」がわれわれをイラつかせるのに似ている。だからまず「コーヒーになります」の「なる」がどうしてイラつくのかを説明する。

 

「なる」は漢字で書けば「成る・為る」で、ざっくりいえば「変化」を意味する動詞だ。「コーヒーになります」の「なる」は、客の想像から現実の商品への変化(ギャップ)を表している。つまり「お客様がどんなものを想像したかわかりませんが、これが当店のコーヒーです」ということだ。客が自分の想像への言及をウザく感じればイラつく言い回しと取られうる。シンプルに「コーヒーでございます」っていえばええやん、というわけだ。

 

「何者にもなれなかった「40男」たちの絶望」をPV稼ぎの煽りタイトルたらしめているのも、想像と現実のギャップを表す「なる」だ。「何者」というフワフワコトバがそのアシストを務めている。言っているのは、つまりこういうことだ。「若いとき夢見たアイデンティティを結局得られなかった40男たちの絶望」。やはりウザいのは、こちらの内面への無遠慮な言及である。

 

試しに「なる」ナシで、「コーヒーでございます」的にいえばこうなる。「何者でもない「40男」たちの絶望」。確かにこれではPVを稼げないだろう。「何者でもない40男」なんて、「若者ではない中年男」というくらい中身がない言い回しだ。煽り表現を取り去ると、ほとんど何も残らない。