冷淡な美男子

随分昔に見た映画で「冷淡な美男子」という短編があります。ジャン・コクトー原作、ジャック・ドゥミ監督、1957年の映画です。ちょっと不思議な映画で、ことあるごとに思い出します。
小劇場のセットのようなアパートの一室で、女が男を待っています。男が帰ってくると、女はヒステリックに愛を乞うのですが、男はそれを完璧に無視して、まるで女がそこに存在しないかのごとく部屋でくつろぎ、また出て行ってしまいます。
そう書くと「超クールガイと悲しい女の話」といった感じなのですが、この映画の面白いところは、それと全く違った見方ができるところです。
女の台詞と演技は「一人芝居」として成立するように書かれ、演出されています。一方男には台詞がなく、彼はアパートに帰ってくつろぎ、また出て行くという動きをただ機械的に行うだけです。見ようによっては、全く関係のない女と男がアパートの一室(同一の舞台/ひとつの画面)になぜか同時に存在している、というふうにも見えるのです。その印象を強めているのが映画全体の演劇的な作りです(セットのみならずカメラワークも舞台撮影風で、情けないことにうろ覚えで自信がないのですが、P・グリーナウェイの「コックと泥棒、その妻と愛人」みたいに、カメラの前に垂らされた幕が開いて映画が始まり、それが閉じて映画が終わったような気もします)。
映画の見方を変えることで変化するのは、男のキャラクターです。男は「冷淡」にも見えるし、「ただの美男子」にも見えます。その「決定不能」な感じが、私はとても好きなのです。