アマチュア

クシシュトフ・キェシロフスキ監督に「アマチュア」という映画がある。
平凡な工員が8mm映画製作にのめり込み、職場や家庭で孤立していくという話。
主人公が作るのは記録映画。ほとんどの記録映画がそうであるように、彼も最初は「出来事」をカメラに収めていく。しかし、自作が映画祭で評価されたことでより深く映画製作にのめり込んだ彼は、自宅アパートの窓から見える路地を、8mmカメラで「定点観測」するようになる。
8mmカメラに写った路地では、「出来事」といえる出来事は起こらない。しかし、彼はそこに「何か」を見いだしている。あるいは、そこに「何か」を見いだすために、彼はカメラを回し続ける。

何もない(と思われている)ところに「何か」を見いだそうとする行為は、非常に危険な行為だ。それは「徳川埋蔵金」探しに似ている。見つけられれば見返りは大きいが、見つけられない可能性の方が圧倒的に高い。それどころか、それが「ある」という自分の確信を「妄想ではない」と証明するのすら、かなり難しい。そういう行為にのめり込むと、人生を棒に振る危険がある。
しかし、危険な行為ほど魅力的であることも確かだ。
「アマチュア」であることの恍惚と不安。「アマチュア」で描かれる「アマチュア」は、「プロフェッショナル」の対義語としてのそれではない。