運命のイタズラ

もしAという出来事が先に起こっていたなら、オレはBということをやらないか保留しただろうに。そういう後悔をすることがたまにある。Bをやってしまってから偶然Aが起こり、やったことと起こったことの間に矛盾が生じ、身動きが取れなくなったりする。そういうときは、運命っていうのはイジワルだなあ、などど嘆息したりする。
しかし、それは本当に偶然や運命の仕業なのだろうかとも考える。心のどこかでAが起こるかもしれないということを感じながら、オレはそれでもBをやりたかったりやらざるを得なかったのではないか。Aという出来事は、オレがBをやったときに付いてくるアタリ棒のようなもので、真剣にBをやればやるほど高確率でAに当たるのではないか。
そう考えると、オレが矛盾を解消し身動きが取れるようになったとき、オレは初めてBを本当に成し遂げたことになるのではないか。Bをやるということは、それくらい大変なことで、だからこそオレはそこにやりがいを感じ、挑戦しようと思ったのではないか。
こういう考え方は自己満足かもしれないが、後悔よりはマシだ。