なりすましという影

ここ1,2週間、ニセ科学者に夢中だった。理研の会見も、ニコニコ動画の生中継で4時間全部見た。


ニセ作曲家もニセ科学者も、大雑把に言えば「なりすまし」だ。
「なりすまし」とは、影のような存在だ。


ニセ作曲家が、ゴーストライターの書く曲なしでは存在し得ないように、
今回のニセ科学者も、権威ある「共著者」たちなくしては、これだけの「偉業」をなしえなかった。


ウソの全容がほぼ明らかになった今、ニセ作曲家やニセ科学者じしんに対するオレの興味は薄れつつある。
「なりすまし」はウソをつくのが商売だから、「なぜ」と問うのは、底なしの井戸を覗くようなものだ。


それよりもオレは、影を作る光に興味がある。
STAP事件でいうと、それは笹井氏とか丹羽氏とかバカンティ氏とかの、エライ人達だ。


彼らはゴーストライターを見習い、早く人前に出てきて喋るべきだ。
それを彼らが拒むなら、オボカタ氏が出てきて、「私を止めることができなかった人々」を糾弾すべきだ。