ホーリー・モーターズ

レオス・カラックスの「汚れた血」は、俺の人生を狂わせた映画のひとつだ。大げさだけど。
ホーリー・モーターズ」には、その「汚れた血」にそっくりなシーンがある。
主演はどちらもドニ・ラヴァン
汚れた血」では、D・ボウイの「Modern Love」に乗って夜の街を疾走する彼を、カメラが横移動で追いかける。
ホーリー・モーターズ」では、モーションキャプチャ用のスーツ(全身にいくつものマーカーを付けたアレ)を着た彼が、ランニングマシン上で「走る演技」をする。
カメラは「汚れた血」同様、真横から彼を写している。
しばらくして背景のスクリーンに抽象的な図形が映しだされ、それが風景のように前から後ろへ流れはじめる。
そのせいで一瞬、彼が本当に走っているかのように錯覚する。その構図は、記憶の中の「汚れた血」そっくりだ。


汚れた血」から「ホーリー・モーターズ」まで26年。
演じているドニ・ラヴァンはシワだらけのおじさんになった。
それを見る俺も老いた。
世の中もすっかり変わってしまった。


「カメラは今や見えないくらいに小さくなった」
この短いセリフで、カラックスは、映画の中の世界と今われわれが生きる世界を直結させる。
それは、リテラルに映画の虚構を支えると同時に、メタファーとして現在を言い当てる。


レオス・カラックスは、相変わらずスゴい。
しかし彼も、自らの老いから自由ではない。


汚れた血」では、疾走シーンのあと、ドニ・ラヴァンが突然よちよち歩きの赤ん坊に変身する。
すぐに単純な編集トリックだと種明かしされるのだが、そこには新鮮な驚きがあった。
ホーリー・モーターズ」のドニ・ラヴァンには、どうして赤ん坊の「アボ」が来ないのだろう。


そんなことを考えるのは、俺が未だ自分の老いを受け入れられないからかもしれない。