夏休みの自由研究

小学校三年生の夏、私は先生に分けてもらったモリアオガエルを飼っていた。木の枝に泡の固まりと共に卵を産みつけ、孵化したオタマジャクシがそこから水の中にぽたぽた落ちるという、珍しい生態のカエルだ。
孵化の様子は学校で観察し、オタマジャクシを数匹もらった。エサはかつお節やら何やら、家にあるものを与えた。しばらくするとオタマジャクシから脚が生え、尻尾がなくなってカエルになった。カエルには虫を与えなければならない。私は毎日近所の草むらで捕虫網を振り回し、そこに入った小さな虫をすべて水槽に放り込んで様子を見た。
夏休みに自由研究するのが宿題だった。私はモリアオガエルを題材にした。オタマジャクシのとき食べたもの、カエルになってから食べた虫の種類を、私は「円グラフ」にした。展示用の模造紙に色鉛筆でキレイな図を書いていると、通りかかった父親が覗き込んで、そんなグラフを描いてはダメだと言った。
私は一切数値に基づかず、「だいたい」で円グラフを描いていた。多いと感じればば面積を大きく、少ないと感じれば小さく。小三の私は、円グラフとはそういう「感覚」を図にしたものだと思っていた。小学校で「割合」を習うのはもっと上の学年だった。父の指摘に驚いた私は、しかし釈然としない気持ちのまま、「円グラフ」の使用を諦めた。
意気込んで始めた飼育と研究だったが、「円グラフ」がなくなったことで台無しになった気がした。私にとって、夏休みの自由研究とは「展示」だった。毎年休み明けの9月、生徒たちの自由研究や自由工作が講堂に一同に集められ、展示された。そこには、大げさにいえば遊園地のような楽しさがあった。研究内容よりも見た目が重要だった。
自由研究が終わって、私はモリアオガエルに興味を失った。冬が来たらどう飼えばいいのかも分からなかった。私は一匹だったか二匹だったか、最後まで残ったモリアオガエルを田んぼに放した。